Sunday, 13 October 2013

ドルゴポロフ 子供時代のツアーの思い出、プレースタイル、趣味の車について

先日のジャパン・オープンで待望の初来日、今年5回目のベスト8入りを果たしたアレクサンドル・ドルゴポロフ。英『TENNISHEAD』誌による彼のインタビューです。

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あなたは小さい頃、お父さんと一緒によくツアーを回っていたけど?

それがあまり覚えてないんだ。僕は4、5歳で、父は(アンドレイ・)メドベデフを見ていたから、いつもコートの周りにいたし、たくさん旅もした。

お父さんと一緒にツアーを回っていた頃、会ったり一緒に遊んだプレーヤーの事は?

ああ、大勢の選手と遊んでもらって、それは楽しいものだった。ツアーで選手の誰かが子供を連れていたら、他の選手がコートの中や外でその子たちと遊ぶのは普通の事。だからレジェンドとも遊んでもらった。僕が覚えているのは両親が教えてくれた事だけ。親はトーマス・ムスターがいつも僕と遊んでくれて優しかった、って言ってるよ。

あなたのプレースタイルは意外性があって、相手は次に何が来るか予想できないこともしばしば。それが自分の一番の強みだと思ってる?

そうだな、言い切るのは難しいけど、僕は多分ナダルやジョコビッチほどには体が強くないし、長い時間走ることも出来ないから、僕にとっては良い事だと思う。でも、僕には他に長所がある。僕が試合に勝つためには違う方法を試す必要があるから、その場で考えて、違う種類のショットをたくさん打って相手を苦しめないと。もちろん、僕がそれを実行出来るのは素晴らしいことだ。

コーチから「アレクサンドル、トリックショットを打ち過ぎるな!」と言われたことは?

うーん、ないね。実際逆だった。数年前僕がトップ20にいた時は、自分はもしかしてもっと保守的なプレーをするべきなんじゃないかと信じていて、そうしようとする度に負けた。最近のプレーヤーはとてもレベルが高いから、僕のプレーに簡単に慣れる。今は自分は自分であって、リスクをたくさん取らないといけないと理解している。今試合に勝っているのはそれが理由。何人かのプレーヤーはどうしたらいいか分からなくなるから。僕が保守的なプレーをし始めた時は、ずっとランクの低いプレーヤーにも苦しめられた。

今でもコンピューター・ゲームは作ってる?

いいや。それは大昔の話で、僕が16、7歳の頃の事。今は時間がないし、ゲームをする年でもなくなった。その話は18歳の頃ツアーの初めてのインタビューで書いて、今でも手元にある。車は今でも趣味だけど、ゲームはずっと昔の事。

車は何台持ってる?

3台。ポルシェ・カイエンとレースカーを2台。一つはスバル、一つは日産GT-R。

自分で改造する?

ああ。日産GT-Rは普通の車の4倍の馬力があって、公道を走れる世界最速の車の一つなんだ。僕はそれをアメリカに半年送って、去年戻ってきた。ウクライナのドラッグレースや他のレースで走らせてる。それが僕のオフコートでの趣味。

何か特別な力を持てるとしたら?

空を飛ぶ力を選ぶかな。何でか分からないけどね!ただ好きなんだ。

プロテニスで何か変えられるとしたら?

男女共催の大会を変える。一緒だといつも面倒な事になるから分ける。大抵コートが足りなくなるんだ。誰もが自分だけでシングルス、ダブルスを練習したがって、それで少し厄介な事になる。女子は選手同士で練習するのを嫌って自分のコーチとしか打ちたがらないから、トップ20の男子4人が一つのコートで練習して、別のコートではトップ100の女子選手一人がコーチと打ってたりする。無茶苦茶だし、男子はそういう大会を楽しんでいないと思う。人が多過ぎるから、いいプレーをしたり練習をたくさんするのは難しい。男女共催の大会を開ける会場は多くないし、大抵少し厳しい。

Locker Room: Alexandr Dolgopolov

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日本滞在中は「東京のファンはすごい!たくさんのプレゼントにたくさんの注目。予想していなかった」との感想をツイートしたドルゴ。これに気を良くして、毎年東京に来てくれるようになればいいですね。

the_dog今年の有明でドルゴポロフのファンになった方のために、彼がウクライナのテレビで愛車GT-Rを紹介する様子はこちら。しかし、いつ見てもすごい車だなあ。







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